Burnethillファミリーの旅に同行っ(その3)

春に訪れた時、今度は泊まりに来よう!と思っていた目論み通り、Shed Houseを予約してやって来ましたa-ca-cia-place!
到着した時は、週末のティータイムで混んでいましたが、看板犬のソンドレ君はわんさを覚えててくれたようで他のお客さんを素通りしてまで(^_^; わんさに挨拶に駆け寄ってくれました。
わんさも覚えていたようで穏やかにご挨拶〜

またやって来ましたa-ca-cia-place!

またやって来ましたa-ca-cia-place!
 

わ「覚えててくれた?」ソ「覚えてますとも〜」

わ「覚えててくれた?」
ソ「覚えてますとも〜」

続いてソーン君は、burnethillワン’sともご挨拶。
妹想いの五郎君は大きいソーン君を警戒しますが、大きかろうが小さかろうが、オスだろうがメスだろうが全く怒らないソーン君は穏やかな犬と分かって一安心。
まずはテラス席で美味しい自家製ベリージュースを頂くことにしました。

五「妹達にちょっかい出すなよ」ソ「だ、出しませんよぉ…」

五「妹達にちょっかい出すなよ」
ソ「だ、出しませんよぉ…」

わ「前はココ雪積もってたね」

わ「前はココ雪積もってたね」
 

店内はほぼ満席状態で、しぶやさんも忙しく動き回っていましたが、burnethillさんに同じ匂い(笑)を感じ取ったらしく、テラス席にやってきて犬談義に華が咲きます。

画になる座談会が始まりました〜

画になる座談会が始まりました〜

五&ふ「おかえり〜」ソ「ただいま〜」

五&ふ「おかえり〜」ソ「ただいま〜」

傍らで静かに横たわる犬達もすっかりリラックス。

わ「盛り上がってるね」

わ「盛り上がってるね」

え&風「こんにちは〜!」

え&風「こんにちは〜!」

そこへスタッフのお姉さんがやってきてみんなをナデナデしてくれました。
人懐っこいえっちゃんと風子ちゃんは大喜びっ
2年前に愛犬を亡くされたそうですが、最近ジャックラッセルを検討中とのことで、わんさにとても興味を持ってくれました。

わ「優しいお姉さんだね」

わ「優しいお姉さんだね」

追いかけっこが始まりました〜

追いかけっこが始まりました〜

しばらくして、裏の方で犬達を遊ばせようとShed Houseの方へ移動しました。
待ってました!とばかりに風子ちゃんとソーン君の追いかけっこが始まりました〜

続いて、ソーン君は近くの池に飛び込んでス〜イスイ!
池に飛び込むといつもお客さんが喜ぶので、ソーン君なりの歓迎パフォーマンスなのだそうです。(^^)
それを見て、わんさも飛び込もうと何度も試みますが、わんさはいきなり深いところは怖くて入れません。(^_^;
泳ぐの大好き五郎君も羨ましそうに見つめておりました。

わ「あ!いいなっ」ソ「♪〜」

わ「あ!いいなっ」ソ「♪〜」

五&え&風「なんて自由犬なんだ…」

五&え&風「なんて自由犬なんだ…」

その後、コンテナに荷物を置いて、近くのお風呂に行って来て、わんさに夕飯を食べさせた後、私たちも夕飯となりました。

気分はバックパッカー

気分はバックパッカー

わ「何食べるの?!」

わ「何食べるの?!」

お店の閉店時間後に用意して下さったので、店内貸し切りです。
私は前回カレーライスを頂いたので、今回はハヤシライスをお願いしてみました。これがまた人生最高のハヤシライス!
そして楽しく、とても心地良く、とっても為になる先輩方の為になるお話し再開〜

興味深い話しは尽きません

興味深い話しは尽きません

ハヤシライスも絶品!

ハヤシライスも絶品!

特に興味深かったのは、しぶやさんが以前一緒に暮らしていたガンを煩ったラブのお話し。
苦しむ様子に安楽死をすべく病院に行って、弛緩剤の注射を打つ際「いけないことなのかもしれないけれど、それを私に押させてくれないだろうか」と先生に言われたそうです。
「私は愛犬家ではない。そんなことも涙一つ流さずにやってのける冷たい男なのですよ。」と仰るしぶやさん。

愛犬が年老いて、または病気になって苦しむのを見てられないと動物管理センターに持ち込む飼い主も多い昨今。
そういう人達は、“かわいそう”なのは愛犬ではなく、自分なのだと私は思います。
犬や猫を迎えた以上、発生する“責任”。
それを全うするということは、どういうことか…
しっかり深く具体的に考えて迎えた人ならば、後からでも気付いた人ならば、そんなことはしないはず。

私も常々、安楽死という難しい決断を私は出来そうにはないけれど、もしそれをせざるおえない時は私がこの手で…と思ってきました。
「その方が彼も納得出来ると思ったんです」と、しぶやさんが仰っていましたが、全くその通りだと思います。
愛犬家の定義はどういうものか私には分かりませんが、上下関係ではなく、パートナーとしての関係を築けている人と犬は幸せだなぁ…と感じます。

(ラスト、その4に続く〜)

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2 Comments »

 
  • やっこ より:

    夏だと、こんな光景なんだね~。
    冬は、飛騨の氷点下の森の氷の世界みたいって思った覚えが …。

    しぶやさんの話 …
    正直、とっても、その気持がよくわかり、そして、そんなご主人が
    実際にいてくれることを知れて、とてもとても嬉しく感じたよ。
    毎日のように、時には日に数頭の命の安楽死を見ていても
    これだけは、ずっと慣れることがなく、今でも、その後は
    トイレに行って泣いてしまう自分。
    ご主人さんたちが、どんな断腸の思いで持って、その決断を
    しているのかが、痛いほど伝わってくる …。
    そして、そういう人々は、時間が経とうと、ずっと、あれで良かったのか?
    って悩み続け、その人なりの十字架を背負う …。
    けれど、安楽死は、動物にとっての最高で最期の贈り物。
    動物が苦しまない為に、自分自身(ご主人)だけが苦しい選択。
    しぶやさんは、それを、もっとはっきりと、自分の決断、自分が
    愛する命に与える 最高の愛 であると、刻みたかったのかも知れない …
    と、思わされたよ。

    とても貴重な話を、聞かせてくれて、本当にどうも、ありがとう。

    • kworca より:

      前にいったのは3月だから、あの時でもだいぶ暖かくはなっていたんだけど、
      まだまだ真っ白だったよね。

      私は正直、安楽死が良い事かどうかは分からないんだよね。
      良いか悪いか…という尺度のことでもないのかもしれない。
      私はCooの時、苦しむ様子を目の当たりにしても
      安楽死という選択は出来なかったからかもしれない。
      死を明らかに望んでいるのならともかく、
      犬は最期まで生きようとしてるのではないかと思うんだよね。
      それを踏まえて、自分主体では無く、愛犬主体の選択は
      当事者でなければ下せないものなんだよね。
      そういう意味で、しぶやさんの冷酷なのではなく、
      冷静だったのではないかと思ったよ。

      いずれにしても大切なのは、どんな死を迎えるにせよ
      愛犬が最期に見るものは飼い主の顔であるように努めることだと思う。
      だから放棄なんて以ての外!
      その後の悲しみは、愛情の深さなのだと自信を持てるように…

 

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