今日で一年…
Cooが亡くなって今日で一年です。
ずっと昔のことのようにも、ついこの間のことのようにも思える不思議な一年でした。
わんさはもうCooが生きた時間を越しているのですが、やはり今でもCooとの時間も続いています。
恐らく、数日後に迫る自分の死期を分かっていたCooは、私の顔を食い入るように見つめていました。
私は見つめる理由に気が付かないふりをして「なぁにぃ〜?お水かい?」と誤魔化したりして…
あの時、Cooは何を言おうとしていたのか…
内臓出血で歯茎が真っ白になってフラフラだというのに、病院に行くと先生や看護師さんに元気に尻尾を振って懸命に愛想を振りまいていたCoo。
「Cooがいなきゃダメなんだよ…」とすがる私に応えて、もの凄い痛みに耐え続けてくれた頑張り屋でとっても優しいCoo。
Cooの直接の死因は誤嚥です。
あの日は朝からもう水も飲むのが困難になっていて、飲んでも嘔吐してしまっていました。
最期のその時もベッドで必死に水を飲もうとして気管に入ってしまい、私の腕の中で仰け反って逝ってしまいました。
咄嗟にCooの口の中に手を突っ込んで気道を確保…と思いましたが、私の中で「もう逝かせてやりなさい」と声が聞こえました。
十分過ぎる程Cooは頑張ってくれたのです。
私がすべき事はもっとずっと前にあり、すでに何もかも遅すぎました。
病気が判明する前まで、Cooは何度も私に自分の身体に異変が起きていることを分かりやすく伝えていたんだなぁ…と、後から思いあたることがいくつもありました。
何の脈略も無い不安は強く感じつつも、それを振り払えるようにCooが喜ぶ姿を見たくて遠くに出掛けたりもして誤魔化していたのかもしれません。
でも私はCooと向き合ってるつもりになっていただけで、病気の前も後も逃避していたようにも思います。
あの時にこうしていれば…どうしてあの時…と、叫びたくなる程後悔することが多く、振り返って考える度にやり直したくてたまらなくなります。
それはCooが私に与えてくれたものが、あまりに多く大きいものだったから…
Coo、
今も尚、そしてこれからもありがとう。
この投稿へのコメントは RSS 2.0 フィードで購読することができます。 コメントを残すか、ご自分のサイトから トラックバック することができます。
あれから1年経ったんだね。
桂子さんのたっくさんな想い。。
凄くよく分かるよ。
あの時こうしてれば…どうしてあの時気が付かなかったんだろう…
こうしていれば良かったのに!!
なんで??って張り裂けそうな気持ちになるの‥凄くよく分かるよ。
あたしもミミにそうだったから。
でも、桂子さんはあたしの何倍もホントにcooちゃんの為に凄く頑張ってた!
cooちゃんは本当に幸せだったって心から思う。
天に召される前 何かを感じてじっと見るのかなぁ。。
ミミもそうだった。。
cooちゃんが何かを言いたかったのだとしたら、「今まで一緒に過ごせて幸せだったよ。ありがとう。この目に大好きなあなたを焼き付けて・・逝くね。私を忘れないでね」って言ってたのかなぁって思う。
直接の原因が誤嚥だったとしても、最後に桂子さんの腕の中で逝けたcooちゃんは・・幸せだったと思うよ。
最後の瞬間の瞳に映ったのが、大好きな桂子さんだったんだから。
cooちゃんのニコニコ顔はホントに・・ずっと忘れないよ☆
桂子さんやわんさちゃんだけでなくて、チロの事も見守ってくれてありがとうね☆
そう、一年…
タカピョンさんなら、この時間がどのような感じかわかってくれますよね。
どれだけ泣こうが、反省しようが、何にもならないとはわかっていても…
時間が経てば経つ程、当たり前のように思っていたCooの存在が
当たり前ではなかったんだと、ひしひしと分かってきて
忘れることなんかあるわけなく、考えずにはいられません。
私は空回りしていただけで、全然頑張りが足りなかった…
というか、やるべきこと、重点を置くことが違ってたと思います。
ミミちゃんも数日前に見つめてたって言ってましたよね〜
アニマルコミュニケーターであれば、ハッキリメッセージを受け取れるんでしょうけどねぇ。
でもハッキリ受け取っちゃったら、ボロボロ泣いちゃうだろうなぁ…
私は与えられてばかりだったなぁ…と思いますよ。
前の日に公園に行ったことも、最期の時もCooの優しい計らいだったと思います。
でも、もっとゆっくり穏やかに、何年も時間を掛けて
天国に送ってあげたかったですよ。
Cooは子犬の時から、他者に気遣いばっかりする犬でした。
わんさにはそうしてあげて!って言われてる感じがするので精一杯頑張ります。
タカピョンさん、こちらこそ色々ありがとう!